エイリアンシリーズを見ていた
コロナの日常、ツイッターで細々と練習していた似顔絵を挙げていきます。
家の中にいる日々が増え、毎日、サブスクの映画を見てました。主に観てたのが、エイリアンシリーズです。
やっぱ面白いですね!
映画「エイリアン」は監督が全部のシリーズで違うのと、主人公のシガニー・ウィーバーの変貌と成長と闘いっぷりが見どころ
シガニー・ウィーバーは当時は美人という位置づけではなかったらしい、しかし、パニックアクション映画で、女性子供が生き残る風潮はこのあたりから始まった
エイリアン1はフェイスハガーが牡蠣のようで美味しそうです。
コロナ=エイリアンが何度でも来る
「感染症の世界史」という本を読んでるんだけど、いまや人類の敵はエイリアンのように銃や武器で戦える相手ではない。現在のエイリアンはまさにウイルスだよね~ どこにでも忍びこんで襲ってくる!
この絵を描いたときは、1月。正月早々の2度目の #緊急事態宣言 でした。
またエイリアン来るのかって忌々しい気持ちを絵に込めました。私の身近にも基礎疾患持ちの高齢者がいて毎日ひやひやしながら対策してるけど、全員そんな生活するのはおかしいよ。緊急事態宣言で経済がボロボロになったら、いずれ保険は削られ介護費用すら捻出できなくなるんやよ かんべんしてほしいよ…あけましてエイリアンだよ
何が怖いってコロナじゃなくて、ロックダウンがよ 賛否両論あるから大きな声で言えないけど。確実に経済メチャクチャになるよね…その分金マケよクレよって論調になるだろうけど、全部わしらとわしらの子供達の未来の借金やで。ハイパーインフレエイリアンが来るぞ来るぞ~
エイリアン2はキャメロン監督でエンタメ感UPで大ヒット。シガニー・ウィーバーが母性愛を炸裂させて母エイリアンと闘う設定
昔版のリプリーには子供がいた過去があった 現在はその設定なしになってるんですね
エイリアン2の母性の描き方も特筆だと思う 我が子?を守るためモンスターと闘うヒロイン。闘う母性という定義。日本は”甘えの母性”があり、何でもママがしてくれ自己犠牲してくれる共同幻想が強いように思います。
コロナでもすぐ「政府のせい!金くれ!ロックダウンはよ!」ってまさに甘えの構造じゃないかな。
日本にキリスト教が根づかなかったのも母性と父性に対する解釈の違いによる 何でも受け止めてくれる羊水のような世界がアジア系の母性の空気感で、マリア信仰に傾きがち 本来は厳しい父性と自己責任と自律が強い。
エイリアンはフェミ系の論文に良く出てくるらしいです。エイリアンが男根に似てるとかどうとかで。私は瀬戸内海の牡蠣にしか見えないですが、そう思えばそんな気もする。
エイリアン3の独特の世界観
超駄作と言われる「エイリアン3」ですが、私は一番好きです エンタメ性は0で完成度もグタグダですが、フィンチャー監督らしい退廃感と終末感、エロスに満ちてます。
飼い犬がエイリアンになるという何がしたいのだか分からない設定ですが ワンコの動きが可愛く恐怖をそそります
フィンチャー監督のデビュー作だったそうで、色々苦労があったようです。
しかし、のちの「ゴーン・ガール」に通じるサイコパス感と後味の悪さ 癖になりそうです。罪を背負う流刑星の男たちと性を封印したリプリーのハゲ頭、そして妊孕。聖母マリアは処女で妊娠しましたが、いつの間にかリプリーはエイリアンの子供を孕んでる。自分の罪(妊娠が女性の原罪と言いたいの?)を背負い、十字架のキリストの如く、リプリーは殉死するというラストは救いようがない
欧米人にかけられたキリスト教の呪いの強さ。エイリアン1のスコット監督「プロメテウス」というこれまた駄作を見て感じました。
「エイリアン3」では終末的な人類の原罪を扱ってます。結果、エイリアンたちが可愛らしいペットに成り下がる完成度となってしまいました。
エイリアン4では更に子殺しという暴走に向かうわけですが… ウィーバーもいいかげん嫌になるよな、何で人類の罪を背負ってエイリアンと闘い殉死したり蘇ったりしないとあかんねん、と
西洋美術は象徴とシンボルレトリックが大好き。エイリアンのあれもこれも「何か」であると”解釈”したがって楽しい。同じ感染系の恐怖映画のゾンビのスノッブさとは違い、エイリアンの方が何かしらアートなのかな。日本人には牡蠣とイカとタコとエビの集合体に見える人は多いだろう。
菅総理 顔がエイリアンに
菅さんは、日々顔色が悪く(官房長官時代から悪かったですが)ますます肌がくすんで、目もくぼんでいます。
こういうマスク出ないかな~ フェイスハガーマスク