エラとは何か

顔のエラについて拘り続けて書いてます。

エラとは

水中にすむ動物の呼吸器。水中の酸素をとる。
人のあご。

だそうです。ウィキからですが…

エラは漢字では「鰓」と書きます。魚へんに思う。

言い得て妙ですね。

人は思考を重ねて歯を食いしばるとアゴやエラが発達します。

女子の顔、意思が強いほどエラがあると見なされオッサンに嫌われがち

昨今の筋トレブームもあり、21世紀はアゴやエラがある女子が大人気に

女性の意思の強さがタブーではなくなり、アゴやエラのある女子こそ芸能界でも地位を確立して息が長くなっています。

男子からエラがなくなっている

反面、男性にはエラが失われつつあります。少年漫画の女性化が進み、かつてのようなアゴがしっかりしたヒーローが少なくなりました。

中性的で性格も優しく、気弱。ぜんぜんマッチョじゃない。それもまたキャラの魅力として共感を呼んでます。

まんが「弱虫ペダル」など象徴的ですよね。かわいい顔で、アニメ風。性差、ジェンダーから少しずつ自由になってきている世相を感じます。

エラが少なくなってきた若者たち 長髪キャラでもかつてはエラがあり、今はない

そういえば、スポーツ選手、特に水泳選手はエラが大きいですよね。特に上半身が発達する水泳。アゴや首の大きさは男女ともすごい。やっぱ歯を食いしばるからでしょうか。

どんどんエラがなくなっている

絵の世界だけではなく、実際、私達の世代と比べ、今の若い人は格段にエラやアゴがないです。

食事の柔らかさも関係しているのでしょう。知ってますか?給食にクジラの竜田揚げってあったんですよ!肉が豊富にない昭和40年代。噛みきれないゴムみたいなのが…。パンも硬くてぱさぱさだったし…あんなもん食べて無駄な根性論みたいな教育受けてたら、アゴもガチガチになるわ!(老害マウンティングみたいな一文やな(笑))

かつては旧日本軍の生き残りのようなコーチがいて、根性でしごきまくるのがスポーツの世界。彼等の足は短く、骨格はゴツク(魚や玄米を食べてるせいで)アゴやエラが発達して四角いのです。

マンガアニメ「巨人の星」に見るエラ

巨人の星に出てくるようなのが昔ながらのエラキャラです。

毎朝、KBS京都という地元テレビをつけています。7時~30分、必ずスポーツアニメが放映されてるんですね。(どうしてだろう)この「巨人の星」や「キャプテン」など中高年のハートを打つアニメばかり。

観たら根性論や精神論が身に染みて今日も社畜となるのだとの決意が新たになりそうです

彼等の顔を見ていると、どの登場人物もアゴ、エラが非常にしっかりしてます。そういう時代なんです。

不思議なのは、姉の星明子

彼女は木の影で涙を流しながら親子の根性を見守る女性ですが、エラがないです。こんなにアゴエラをしっかり描く時代でもヒロインにはエラがない!

「北斗の拳」のラオウをはじめ、エラだらけの男性陣の中で、ユリアにはエラがない現象と非常に似ています。ゴージャスでボリュームのある身体スタイルなら顔にも筋肉があるのが当然なんですが…不自然なのがマンガデフォルメとはいえ

ヒロイン、美人とはエラがないものだと考えられているのです。昭和のジェンダーバイヤスを感じますね~

毒親と共依存の梶原一機の世界

「巨人の星」は見ていて胸が痛くなります。これって虐待なんじゃ…というようなシーンがいくつも

星一徹は息子の飛馬に大リーグ養成ギブスという自作のプロテクトをはめさせます。(これで飛馬は成長が止まりチビのまま)※しかし、このアニメ放送時代、少年たちはこのギブスを欲しがったのだった。変身ベルトのようなものか。

で、このギブスをはめたまま、雪の中で特訓したりする

ひどい…ひどすぎる…

いわゆる毒親である。どんどん息子は洗脳される。

飛馬は団塊の世代です。その親の一徹は戦争体験者でアルコール依存症。そして息子飛馬も娘の明子も共依存です。

他者の世話をすることでしか自分の存在理由がない娘の明子(典型的なイネイブラー)。彼女はエラがなくモテて最後は花形満と結婚して玉の腰。でもいつも父と弟に振り回され泣いてます。この時代の女性の生きづらさを感じます。エラがなければ女性はチヤホヤされ幸福になれるかというと全くそうではないのです。

飛馬もまた、偉大な父の支配から逃れられず、長期間苦しみます。

昭和の家族。貧困と依存症。戦争の後遺症で歯を食いしばって生きた男性たちはエラが張り、眉が太い。そんな彼等を美化して世話をしつづけるヒロインは不自然にエラがない。

たかがエラ、されどエラ。日本の昭和を体現するのが張ったエラあるいは張らないエラではないか。私の穿ちすぎですか。

当時は胸アツだったスポコンアニメは今や、時代錯誤です。「キャプテン」もそうですが、かつてのような根性論でしごき自己犠牲したら良いという価値観は否定されつつあります。昭和生まれの私ですら、よくこんな物語を平気で読んでたな~というのが昭和コンテンツには多いですね。

※しかし「巨人の星」は父を超えようとする飛馬の葛藤、超えられまいとする一徹の意地のぶつかり合いが勝負の世界に昇華されクライマックスを迎えます。その光景は生きる勇気が湧きます。根性がすべて悪いものではないのです。

父と息子、母と娘は必ず反発する

あの時代の親子関係を彷彿するのが長嶋さんや野村さんの親子関係。巨人の星ほどマッチョではないが、親の生き方(野球)を子に継承させることに悲劇性があるのでは。

親子(特に同性)は反発しあい、子は違う生き方を選ぼうとします。(女性はさらに子育てと介護というギブスが人生を縛りつけます。)親は自分の叶えられない夢を子供に託し、しばります。子は親を超えようとして努力し考え、強くなるのです。

父と息子、母と娘は必ず反発しあいます。それは悪いことではなく、成長の証です。そうでなければ社会も文化も発達しません。新しい価値観は生まれません。

令和。時代は少しずつ動き、かつてのエラやアゴは削られる時代になりました。

女性のエラは忌避されると書きました。男性にも近年その傾向がある。年々、子どものエラやアゴが小さくなってきたという。世代間で違う。なくなってきました。

現代人に顎(あご)の骨が小さい人が増えてきている原因?

桑田真澄さん親子に見る新しい親子のエラ

極端な例を挙げると桑田真澄さんとMattさん親子です。

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桑田真澄さん&Mattさん似顔絵イラスト 対照的な二人

桑田パパはエラもアゴもすごい。しかし、Mattさんは父ほどない。(イラスト描いていたら、実は化粧でごまかしているだけで、しっかり親ゆずりの骨格はある)

 

Mattさんは濃い化粧で、エラがない顔をワザと演出してます。

お父様と全く印象が違いますよね。まったくマッチョさ、スポーツ選手の血筋の片鱗を感じない。

 

Mattさんの化粧は、プリクラやアニメ、ユーチューバ―の化粧の影響もあるのです。

最初見たときはギョッとしましたが、私の世代のアニメや漫画には確かに登場人物にエラがあった。(北斗の拳など)しかし、今の漫画にはないのです。スポーツで活躍するキャラにはエラがない。(ハイキューとかも)

エラをなくすことで古い時代の価値観、父を乗り越えようとしているのか

桑田真澄は私と同世代です。

Mattさんの芸達者や品の良さに育ちの良さを感じます。つまり健やかに真澄パパに愛されてきた魅力を感じる。新しい親子のひとつの形がはじまったように思います。

今までの時代は、エラを張る=根性を出し、混迷の時代を乗り切ってきました。

新しいグローバリゼーションの時代。性差も保守的な精神論もなくなってきました。かつては武器だった強さ=エラ。それが今や通用しなくなってきたのではないか。

若い世代は男女ともエラをなくし、日本兵や根性論のスポーツマンのように歯を食いしばることない。軽々と健やかに次世代に活躍していくに違いありません。

エラ問題とは?4 ファムファタール(魔性の女)に見る東西美