似顔絵イラストとは何か

人間の脳には、あらゆる文物に顔を見出す(見立てる)システムが備わっていると書きましたが

ならば似顔絵の定義は顔の知覚(ウィキペディア)

顔の認識は、社会の個人が毎日使用する重要な神経学的メカニズム

であり、似顔絵とはそのメカニズムに基づいた絵画活動

である。と言い切っていいでしょう。

社会性の中で人間は生きることができます。(引きこもっても、コンビニや食事、住居や書籍など、社会活動の恩恵を受けている)自分対他人の客体化、顔の区別をすることは社会性の必須の能力です。

似顔絵イラストを描いて描かれる文化は人間ならではです

客体化=互いが互いであると認識しながら活動する=それに基づいた二次元への表現活動

が各文明、文化、国によって違いがあります。

東西文化文明、各時代で変わる顔認識の価値観

たとえば、美醜ですが、東西各国の文化や歴史により美人の定義が変貌してきました。たとえば、平安時代にはうりざね顔が好まれた、など。

顔はともかく、この髪型と服装だとなかなか現在では生活しずらいでしょうw美醜の価値観の東西の違いは書きたいんですが、また長文になりすぎるので今度にします。

今回述べたいのは、擬人化(人間以外のものに顔やキャラ見出してしまう)についてです。

元をたどれば、あの鳥羽僧正の「鳥獣戯画」がそうですね。

この絵が平安時代からあったなんで信じられますか?

まるで漫画です。コミックそのものです。はるか昔から我々日本人は自然や動物や身の回りのものにキャラを見出して遊んでしまうんです。

この絵を見てまっさきに出る言葉は「かわいい!」でしょう。「キレイ」でも「うむうむ」でもありません。かわいい=俳味のあるおかしさ です。

「かわいい」とは何か

アメリカではスポンジボブってアニメがあって、スポンジや台所用品に人間の容姿やキャラを見出すものがあります。が、あのセンスは日本と感覚が違いそうです。

機関車トーマスもしかり…。

「かわいい」の感覚が違うんじゃないか。これらは一般的日本人にとっては少しグロテスクなセンスであり、「おもしろく」あるけれど、「かわい」くはないのでは。

※ネットによるグローバル化でアメリカ的感覚が日本にも入り子供はトーマスが大好きだし、欧米にも日本的な「かわいい」が影響してきている。価値観が均質化かつ多様化してきている。

日本の「かわいい」は独自のもので、ビューティフルでもクレバーでもクールでもないですよね。

「かわいい」は絶妙な言語で、あるときは、小さな幼女にも適応され、あるときはオジサンや老人にも「かわいい」が使われます。物や機械、ルンバやテレビのリモコンにも。

Pepperくんは何故いまいちヒットしなかったのか?日本的な「かわいい」に原因があると思われる。

機械やグッズに人間の顔やキャラを見出す

人間だけでなく、身の回りの文物に私たちは人格を見出し顔を見たてます。

見立てとは

(芸術の技法)対象を、他のものになぞらえて表現すること

日本人はこの「見立て」が非常に好きで、その歴史は長い。見立て(ウィキペディア)

ないものをあるように想像して楽しむなんて、中二病みたいですが。元々そういう文化だからいいんですよ。枯山水も見立ての際たるもの。流れてもない水を石を置いてその気になるってまさに脳内遊びですね。

似顔絵イラストだって見立てが多いに関係してるんですよ。デフォルメするのはまさに見立てです。〇△□が目鼻口に見えるのはまさに見立てです。

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〇と△と□だけで人間の顔に見える

我々日本人は色々なものに「かわいい」を見立てて、存在感、顔を認識するという不思議な文化がある。

今回注目したいのは、テレビや家電に心や人間のような容姿を見出してしまうことです。

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首をうなだれて悲しんでいるテレビ

この感覚は日本人にとても強い傾向があるのではないでしょうか。たとえば、艦コレなど、戦艦にキャラを見出す、ゆるキャラ好きの国民性。あまり海外ではゆるキャラって好まれないそうです。

手塚治虫に見る異形のものへの眼差し

この機械への人格的シンパシーを考えるとき手塚治虫の漫画「火の鳥」を思い浮かべます。

どの巻のエピソードかは忘れましたが、機械、ロボットとの恋愛がありましたよね。

主人公のマキムラが事故で「顔認識」の機能がおかしくなってしまう。

普通の人間の顔が醜く、機械が美しく見えてしまう。で、ロボットに恋をしてしまうんです。

手塚治虫 火の鳥の一場面
いま漫画が手元にないので記憶だけで描いてみた。ロボットのチヒロと道ならぬ恋をして雪の中を心中する主人公

手塚治虫って日本の漫画のルーツみたいに言われるほど有名だけど

登場人物ってみんな異形なんですよ。(「ワンピース」のような陽キャラは少ない)主人公の顔が怖かったり障害者だったり(ブラックジャックやどろろなど)社会から逸脱して生きづらいはみ出しものばっかりです。

この「火の鳥」のマキムラもそうです。

硬質な機械に情と心を見出すマキムラの生き方に「え?変だよね」と最初は(笑)ながら、最後は涙が止まらなくなります。

ロボットのチヒロは、マキムラに愛されるうちに不思議な感情を持ち始めるように。つまり「心」を持つようになる。一生働く機械のチヒロにとって「心」を持つことは破滅を意味します。

手塚治虫さんの筆致がすごくて、最初はただの機械だったチヒロがほんの小さな角度の違いや動きで、だんだん愛おしく見えてくる。これが「かわいい」です。機械に顔が心があるわけないのに、見出し共感し感情をこめてしまうのです。

最後マキムラとチヒロの雪の中で逃避行をするシーンは胸が苦しくなるほど。私の漫画史上では最高のラブストーリーです。この物語に感情移入する人は多いはずです。

機械とのラブストーリーなんて客観的に考えたらおかしいでしょうか。AIが生活に入ってくるようになり、人間だけでなく機械にもシンパシーが多いに感じられる時代になった。この火の鳥のエピソードは再評価されるでしょう。

「かわいい」擬人化にはわけがある

この摩訶不思議な日本人特有の擬人化は宗教性と関係があります。

日本はご存知のとおり、一神教(キリスト教イスラム教などの厳格な宗教)ではありません。明治以降、本格的にキリスト教が入ってきたものの、まったく浸透していません。(長崎の隠れキリシタンも一神教的な性質は薄れ土俗的な多神教に変質したので厳密にはキリスト教ではない)

汎神論(まわりのありとあらゆる物や自然や動植物に神を見出す)は多神教に特有の概念です。(ヒンズーやユダヤ教の一部)私たちの先祖や歴史は汎神的な感覚が自然に身についています。アイヌ民族にも「カムイ」と熊や森に神聖を見出す宗教性があります。

4087210723 アイヌ文化で読み解く「ゴールデンカムイ」 (集英社新書)”]

山や木や森や、動物たちに文物にも神様がいる!台所にもいますよ。スポンジボブよりもっと昔から!台所のかまどにも!かまどの神さまっているんです。京都人はいまだにそういうお札を台所に貼っていたりします。近年にはトイレにも神様がいる~という歌がヒットしましたね。

先日の天皇陛下の即位式に天気が晴れて虹が出てきた。Twitterでは多いに盛り上がりました。

令和天皇夫妻の似顔絵:浩宮さま雅子さま(色)
天皇:浩宮さま雅子さまご夫妻の似顔絵イラスト

そういう自然神聖に親和性が高いのが日本人です。天皇制は宗教ではないという人もいますが、国民性に染みつきすぎた当たり前の感覚なので、一神教の西洋的な宗教観でない、というだけです。

明らかに民族性の「宗教」儀式ですよね。それが私たち日本人の統一性と美徳の基礎です。しかし逸脱暴走すると太平洋戦争みたいになっちゃうんで、一長一短です。

タイやヒラメもやってくる

先日の日経新聞の記事に涅槃図について面白い記事がありました。桃山時代に描かれたもので、涅槃図とは御釈迦さまが死ぬときを描いたものです。

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涅槃図 釈迦の入滅のとき 人間のみならずあらゆる動物が釈迦の見舞いにきている

2019年11月19日の「日本美術の中の動物」という記事 千葉市美術館館長 河合正朝さんの記事ですが

仏典には、釈迦の死を知った、菩薩、羅漢 比丘(僧)はもとより、生きとし生けるものの全てが悲しみ、そこに参集したと説かれる。この図にも様々な動物や昆虫が描かれるが特に興味を引くのは、鯨 鯛 平目 蛸 海月、海亀、貝のほか、水中に住む生物たちが描かれることである。

これは日本特有の涅槃図で、中国やアジアの涅槃図にはタコやヒラメが登場しないんだそうです。

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海のいきものが涅槃図に出てくるのは日本ならでは

神道と仏教は長い時間をかけて交じりあい日本独自の思想を作りあげました。仏教的な生き物に対する慈愛と神道的な全てに神聖を見出す日本的な感覚。

カラパゴスとも言われますが、タイや昆虫まで仏教の絵に登場するとは!自然の中で共存して生きていく、という感覚が出ているのです。西洋文化は自然とは敵対するものであり、食べ物は食べ物だと神聖や親和性を感じることはありません。

たとえば、こんまりさんの片付け術が世界中で人気ですが、彼女の視点も日本的です。物を捨てるときお礼を言って捨てるとか、アジア的な妖精イメージとか。そういうものが新鮮で受けてるんですね。

モナリザになぜ眉毛(アイブロウ)がないか