アメブロ民はなぜ画像を盗むか
さて、アメーバブログの運営会社「サイバーエージェント」に数件、住民票つきで申し立て書類を送付した。(ほんとうはこの倍くらい事例が放置されているので、もっと送りたかった)
画像の盗用である。私の描いた有名人の似顔絵イラストが何点も盗用使用されていたのだ。
アメーバブログの利用者に顕著である。マトモなブロガーも沢山おられるとは知ってますが、リテラシーの低い層が多数いる。特に年配者の政治的に偏りのある記事に私の絵が多数無断で使われていて、落胆した。
どの文章も「男女差別許すまじ!」「安倍政権許すまじ!」「韓国中国許すまじ!」と正義に酔い、長文でまくし立てて読むと気分が悪くなる。ご立派なことを世界のアメブロの中心で叫ぶわりに、著作権についてロクに知らないし、泥棒行為を開き直るとはどういう育ちをしているのだ。
そんな文章に丹精込めて描いた私の絵がいかにも!と勝手に添えられていて、涙が滂沱と流れた。つらすぎる。それにお客様が記事を見たらどうするんだ、同類および懇意にしていると思われるではないか。営業妨害もはなはだしい。
そんな事例が数件どころか二桁大きく超え多数見受けられ、ひとつひとつ丁寧に削除を申し出た。
コロナ騒動の時期もあり、そのおぞましい文体を見ているとストレスで尿が珈琲のような色と化した。が、盗用を消してもらうには詳細に見て、連絡先を探して対処するしかない。
最初はコメントやメッセージ機能を使い「使用許可されていない画像をお使いです、お手数ですが、どうぞ削除をしてくださいますようにお願い申し上げます」と丁寧に申し上げた。泥棒にあった人間が手間をかけ頭を下げ各所に「お願い」をしなくてはいけないとはなんともひどい話であるが、現状、そうするしかない。
エキサイトなど他のブログ使用者は「すいません」とすぐ取り下げていただけた。単に軽いお気持ちであること、バレるなんて想像もしなかったのだろう。
しかし、アメブロのユーザーだけはひどいもので、全員(誇張ではなく1人残らず)無視したりブロックしたりした。(更新を放置していて気が付かないという可能性もあるが、コメントを即日削除してブロックするという知恵はあるので、確信犯である)著作権については無知なだけだと善意解釈したいものの(でも子供ですら他人の絵を勝手に使用するのは泥棒だと知っている)
さらに多めにみて認知症の走りだとしても、普通の感覚なら「あ、うるさいヤツ」だ、と取り下げるはずである。
しかし、アメブロ民は違う。俺のものは俺のもの。おまえの絵も当然オレのものだと居直るジャイアンユーザーだらけだ。私は数年前にアメブロから撤退したがその時、右翼左翼、似非医療やアロマホメオパシー、なんちゃらコンサルタント、自己啓発コーチング自称カウンセラーメンタリスト、FXビットコイン宣伝、キラキラ起業家、占いスピリチュアル、カルト宗教、マルチネットワークの人物網に耐えかねたからだと思い出した。
当のサイバーエージェントには著作権侵害申し立てのページはあるものの、それは名目上だけだ。いくら証拠を明示してもマトモに受け止めず、住民票などの本人証明書と印鑑登録証明(!いまどき)を封書で送らないと対応しない、送っても対処できるとは限らない、と一律のコピペ返事。今、送付から1か月たつが、盗用ページはそのまま放置されている。
※この記事より1週間後、ようやく当該記事より盗作画像が削除された
いまや、B層のごみ溜めであるアメーバブログ(もちろん善良なユーザーが多いのは知っている。芸能人もいて、利用人口が多く、規制が緩いせいで一般社会ではお目にかかれないような変なのが幅を効かせているだけなのだ)
アメブロは末期なのだ。まともに文章を書いたり、販促をしたい人は違うサービスを利用されることを強くお勧めする。
絵を描く上でポリコレは欠かせない
絵は自由の世界なのだ、という人がいる。
これは全くの間違いである。絵ほど制約の多くデリケートな領域はないと考えている。
文章とは違い、感情に訴えかけ、語学が分からなくてもひと目で意図を相手に伝えることができる媒体。それが故に大きな危険をはらんでいる。
見るものが自由に解釈できるのが絵だ。文章なら論理的であるほど、その意図は曲解されにくい。しかし、絵は違う。論理が通用しないケースがあるからだ。
絵を描くこと、特に実在の人物、「似顔絵」を描くときに気を付けなければいけないことがあって、
その第一に、ポリコレがある。
ハローワークの学校のことちゃうで!
いわゆる「政治的正義」=ポリコレである。
表現の自由はそのポリティカルコネクトレスと強く関わっている。各国によりそれは違う。”タブー”である。
米国においては黒人をはじめとする有色人種問題であり、ヨーロッパにおいてはユダヤ、アンチセミティズムとナチスであり、日本では天皇制と敗戦のねじれ、隣国との軋轢である。
今日や昨日に起きたことではなく、長い歴史と関わっていて根深い。その辺りは繊細な問題。
最近は、女性差別、イスラム問題などが加わる。乳房を大きく描いたり、女性らしさをどう描くかも神経を使う。
似顔絵イラストはデリケート
だから私はフリーサイトでもなくなった人だけ、と明示してます(亡くなった人でもトラブルがありそうならすぐ撤去)
生きてる人の似顔絵イラストは、ポリコレに牴触しかねないし、まして絵を使う人がどんな誹謗中傷や政治的利用をするかうかがい知れない。その影響力に対し、私の知らないところで勝手に使用されたんだから、私に責任がないかというと、レキゼンとあるんですよ!
絵の力って強いもので、世論を大きく揺るがすこともある。知らなかったから~とお花畑でいいわけない。
絵を勝手に利用されたら、何より私が誤解される!
メチャクチャ困るし、盗用する人は話の分からないケモノ人である可能性が高く、なのにそんなのに関わらざるを得ないのが悲劇。
あの匿名盗用サイトのネバーまとめもようやく終焉したし、アメブロも早期に終わってくれるよう祈るばかりです。
神経を使う対象の人々
特に日本は天皇制について述べることには神経を使います。
昭和天皇の絵を描くにあたり、写真を探しましたが、なかなか出てないですね。撮影掲載するのもハードルが高かった時代のなごりではないでしょうか。
似顔絵イラストはいつも恣意的にしないつもりですが、陛下を描くのはドキドキします…
首相シリーズを描くためにあれこれ調べたとき戦前戦後、昭和裕仁天皇が画策してなんとか戦争回避しようとしていたとあった。数奇な人生で高潔。
映画もいくつかありますが、イッセー尾形さん主演のが好きです。口癖は「あ、そう」
高潔、というのは顔立ちではない。滲み出るものだと昭和天皇を書いて確信しました。
高潔さが顔に出る人、そうでない人
ポリコレに触れそうな人物は「高潔に描いて欲しい層」と「醜く描いてほしい層」が極端に割れている。
どっちに揺れてもその絵は恣意的な意図が強すぎるゆえに、絵としては非常に質の低いものになる。上手く描けたかどうかは関係ない。例えば独裁者や首相、政治家に対する描き方である。
米国の黒人差別のデモ真っ最中の2020年6月。先のポリコレもあり気を使うのだ。
高潔だと思われている人物を高潔に描くのは実はシャクに触る…が、描いてると、どうしても高潔になってしまう!「この人、ほんまにええ人や!」と。目が澄んでるし理想が高そう。善良さが溢れ出てる。
しかし、こんなに高潔な顔の絵でも、煽情的な文章に添えられるとき、尖鋭的な絵となってしまう(そういう意味では絵よりも文章の方が”力(パワー)”があるといえる)
この顔は描きやす過ぎる。世界中で描かれているカリカチュアネタだろう。赤ネクタイといいキャッチーで覚えやすい容姿も政治家の資質。
オバマさんの反動がもちろんトランプさんなんだけど。(「正義」より「強さ」を求めた米国の結果が今。次期はどうなるんだろう…。)オバマさんとトランプさんの顔の印象は反対なんだな。
トランプさんの顔は面白いくらい高潔さがないw
でも、書いてて楽しいのはトランプさん。面白いからね、キャラ的にも。
ニュートラルな絵でも政治的に偏った文章に添えられたら同じく偏った思想性を帯びて読者に受け止められる。描いた本人の思想に関わらず利用されているからだ。
だから私はアメブロなどの右翼左翼やフェミミソジニスト問わず絵が盗用され掲載されることにめっちゃ怒る。盗用と侮辱、二重の意味で怒るのだよ…