西郷さんは本当はこんな人だった
なぜ西郷隆盛にモヤッとするのか、その疑問を磯田道文さんの「素顔の西郷隆盛」という本が解き明かしてくれました。
磯田道文さんは今回の大河ドラマ「西郷どん」の歴史監修者のお一人です。
「大西郷」とは何者か。
と帯には綴られています。そう、”大”西郷。幕末で一番活躍した革命家といっても過言ではないでしょう。
西郷さんは何も考えてない?いいえ?
日本の大偉人、この西郷隆盛さん(鈴木亮平さん演じるドラマのみならず)になぜに何も思想が感じられず、行き当たりばったり?ような感じなのか。仲間やパートナーや上司の言うことを鵜呑みにして行動して、最後は武士を引き連れて集団自殺のような内乱を起こして終わるのか。
…西郷は、目の前にいるものなら、なんでもすべて、それに心が憑依してしまうようなところがあります。たとえば犬と一緒にいて、犬がウナギを食べたいそぶりを見せると、自分も大好物なのにあげてしまう。西南戦争での私学校や桐野利秋らの蹶起(けっき)に対しても、最初はやる気がないのに、じっと考えているうちに、このままでは桐野たちが死んでしまうと思い、自分も憑依してしまうのです。
自他の区別がない、他人と境目がないばかりか、犬と自分の区別さえもないところがありました。だから、一緒にいるとやがて餅みたいに共感で膨れ上がり、一体化してしまう。自分と他者を峻別するのが西洋人とするなら、それとは違う日本的な心性を突き詰めたのが西郷であり、だからこそ時代を超えた人気があるのだと思います。
長い引用ですが、つまりは西郷さんはすごく愛があった。共感力があった。他者や仲間を愛して(犬までも!)。何が正しいか正しくないか、という正義よりも愛情や友情を選んだ人です。
何も考えてないのではなくて、大好きな人達・仲間のことを考えていた、それだけ。
愛する人々のためなら命を投げ出すような心の人だった。そんな西郷さんだからこそ皆に愛された。
大村益次郎と西郷隆盛
私は大村益次郎が大好きで、この人は西郷隆盛とは全く正反対の人なんですね。死に方も正反対です。
- 大村益次郎:合理主義者 形式的な上下関係や古い慣例を嫌う。無駄なことはしない 他人にそっけない。アホアホ上司に挨拶をしなかったから恨まれて暗殺される。(西郷さんの仲間の海江田さんによって)
- 西郷隆盛:共感力重視。仲間のために一生懸命。上司(島津斉彬)が大好き。最後は行き場を失った武士たちの死に場所を作るように西南戦争をして、彼等のために切腹する。
司馬遼太郎の「花神」に大村益次郎さんは、あのすごいと言われている薩摩のトップ、西郷隆盛さんの価値がまったく分からなかったとあります。大村さんは西郷さんを無視してたんですね。皆が大好きでトリコになる西郷さんにまったく興味がわかなかった。
こうまで正反対な性格です。情に流される感じのリーダー西郷さんの存在。大村さんにとっては摩訶不思議なものでした。
しかし、周りの状況を見て動き、直観力と共感力のある西郷さんは皆が嫌う大村さんを重用します。結果、薩長は幕府を倒すにいたるわけです。
私は断然大村益次郎さん派で、合理主義者が好きなんです。
集団行動が苦手なんで、西郷隆盛さんのように仲間を引き連れて、すぐ意見や愛情に憑依されてしまう人がいたら煙たくてしょうがないでしょう。
だから私が西郷隆盛のドラマを観ていて、時々モヤッとしたのはしょうがないことだったのです。
合理的でない西郷さんの魅力
しかし人は実際はそんなに合理的にはいきません。実際私も合理的でないこともあるし。時代は変わるといっても人間はそう簡単には変われないし、ゆるゆるいくしかない。現在でも、こんなに時代が変わったのに、変われない人が大勢います。
いまだにFAXで仕事をしている会社や老舗も知ってます。心をこめて丁寧にものづくりをしています。インターネットを触ったこともない人も沢山います。銀行の窓口でしか取引できず、ATMやネットバンキングすら出来ない人もいます。銀行に預けても利子がつかないのに、投資すら考えません。
しかし、変われないことはそんなに悪いことでしょうか?
明治も平成も、時代はどんどん変わっていく。その過程で取り残されたり、損をしたりするかもしれません。
でもそれも悪くないな、情があっていいな、不器用でもいいな、と。
ルンバが流行っていても、ホウキで掃除する良さだってあります。
身分も賞与も返上したい西郷隆盛
明治維新になり、新しい世界がはじまりました。
多くの志士の仲間たちは政府の要職について活躍します。親友の大久保さんはすっかり立派になりました。利権をがっつり掴む人も多かった。
西郷さんも功労を認められ、遊んで暮らせるような年棒、現在でいえば三億円程度が死ぬまで毎年貰えると、明治政府から提示されます。そのくらい西郷隆盛の活躍はすごかった。
しかし、そんな報酬や地位を嫌ったのが西郷隆盛。
西郷は兵隊たちにお菓子を配り、鱈を食べさせ、牛も食べさせるのには興味があったのですが、新政府の仕事にはまったく関心を示していません。
本当に”大”アホというか…なんて愛すべき人でしょうか。
だから西郷どんは愛された
政府の要職についた人はともかく、下級の維新のために戦った人々=大勢の武士はそう簡単には変われません。FAXを使い続けるように。でもそんな武士が山ほどいて、取り残された。戦争がなくなったら食べていくすべがないのです。西郷さんは、彼等を愛して離れられなかった。仲間を見捨てられなかった。立派な利権のある政治家へと変転できなかったのです。
誰かが、彼等の死に場所を見つけてあげなくてはなりませんでした。消えゆく人のために。土方歳三しかり。
武士が維新後も大量に日本国にいて変われずくすぶっていたら、大変なことになります。FAXしか使えない程度ならいいですが、武士は刀を持ってますからね。内乱が止まらなかったでしょう。列強に付けこまれて、国はなくなっていたかもしれません。西郷さんが彼等のリーダーとなって集団自殺を遂げたのは「愛」によるものだった。
”大”西郷さんたるゆえんがここにあります。