介護保険のどたばた4月

気が付いたら連休です。

気が付いたら元号が変わっていた。令和って名前に明日よりなるんですね。

reiwa
文字「れーわ」

実はこの1か月は猛烈な月でした。80代後半の舅と姑が大変でした。夫の実家の千葉県と京都の往復を毎週やり動いてました。

テレビやネットニュースを観る余裕もなく…。

ようやく3日前に色々な事態が落ち着き、泥のように眠ってました。

義父と義母はとりあえず、平常に戻り、弱いながらも平穏に老いを迎える体制が整いました。

それは終わりが終わったのではく、始まりであり、たんに始まりが幕開けしただけとは分かっているものの、一端おちついて、道筋だけはつなげたという小休止です。来月はどうなるんだろう、と思いつつ、直視しすぎると日常が壊れるし、直視して対処しないと瓦解するわで、これが介護というものなんだな。。。。

いずれ、慣れる、そして、それは10年以上続く、と介護している友人は皮肉な笑顔で言いました。

色々な方々に助けていただきました。ケアマネージャーさん、包括、介護や医療の専門の方のみならず、経験者の同年代の友人、渦中の先輩方、沢山の方に助言と手助けいただきました。

小休止に入ったこの数日、脳と身体がヤバかったので、寝まくりました。起きたら、ギョーザ食べて、また寝てました。

ブログも完全ストップ、納期のせまった絵を必死に描いて。新幹線で下書きし、構成を練り。大変とはいえ仕事があるのがほんとありがたかった。お金ないとヤバいし、さらには、こうした気持ちの切り替えがないとポジティブに冷静になれないので。

ブログに載せたいお客様の絵の紹介も溜まっていて、楽しみにしていただいている方もいるのに…。遅れましてすいません!連休中に記事UPします。

5月3日にはまたフリマにも出店します。

在宅の仕事に切り替えていて本当に良かった

人間は必ず老いて弱りやがて天に還るのだ。それまでの時間が異様に伸びている今の日本の混乱に直面したのがこの平成の終わりで。つまりは少子高齢化ということ。令和はきっとこのことが社会を強烈に動かすだろう。いい意味でも悪い意味でも。

80代後半の義理親は、年も年だし、こういうことは数年前から予測していて、在宅の仕事に切り替えていたのが幸いでした。観光地の祝日の席描きイベントはこうはいきません。時間と場所に制約があるので。

アラフィフ世代は色々なことが押し寄せてくるものです。

中高年以上の女性は絶対色々あると思うので、いざという時のために自己働き方改革しておくほうがいいよ~!と全力でおすすめします。

画材さえあればどこでも仕事できますから。おかげさまで、無事、受注していた絵も全てお送りできました。ネット時代、パソコンもそうですが、最近はスマホがあるので、メールも絵の下書きも出先で連絡できます。

10年ほど前でしたか介護のNPOしている人と飲み会で一緒になり、親の介護はいきなりくるよ、一気にくるよ、と言われていて、そのときはまさかね、ははは。なんて笑ってましたが、預言通りです。一気に嵐のようにきました。でも、多方面から準備しておいたおかげでなんとか最悪の悲劇を迎えずにすみました。

準備しておいても、これです。

この激烈な4月は激烈すぎました。この平成最後の4月は終生忘れないでしょう。

1938年水晶の夜ならぬ平成最後、2019年令和元年の悲劇か。

何かをせずにはいられないのが人の営み

絵を描けるって嬉しいことです。

こうした非日常の事態に遭遇しても、手を動かせ温かい人の笑顔を書くことで健康な気持ちと喜びを思い出せます。

私にとっては”描くこと”ですが人によっては違うことでしょう。歌うことかもしれないし、アクセサリーや手芸をすることかもしれない。子供たちと新しい体験を共有することかもしれない、自然を愉しんだり本を読んだりすることかもしれない。経理や接客など仕事をすることかもしれない。文章を書くことかもしれない。研究して新しい薬を作ったりプログラムを作ったりすることかもしれない。

私はなんとなく、40歳すぎても描いていた、というそれだけのことだった。高校と大学が美術系だったので、単にそれしかしなかっただけです。勉強ができなかった。アホなんですよ。

とはいえ私の絵は天才でも努力家でもまったくない、Twitterでいう絵師なんていうものでもない。なんとなくいつのまにか、である。でも不思議な変な導きで今でも描いてる、手を動かしている。それは神仏の恵みだと確信してます。

お客様のメールは心の支えだった

お客様の何人かで、自分の親や義理親、祖父祖母のお祝いを描いて、というご注文を思い出しては、気持ちに染み入る慰めがありました。思い出して読み返しては頑張れました。

高齢の人をなんとしても慰めたい励ましたい、私たちが今いるのはあなたのおかげだ、今もあなたが必要だよって親に礼を言いたいという気持ちが溢れていたメールのやりとりを思い出してました。

おばあちゃんは88歳。とても温かい人で、いつも優しく皆を見守ってくれる、日常生活はほとんどできなくなってるけど、それがどれほど嬉しいことか、そんな祖母を描いてください。

こうした温かい優しい気持ちの注文主さまが少なくない。お客様はやっぱり神様だ、ぜったいに神さまだとそうしたメールを読むたび思うのです。

そりゃ現実的な過程で、実態は疲れたり投げやりな気持ちになる日々も多いことでしょう。そんなキレイごとばかりではすまないでしょう。

笑顔ばかり描いていると、この現実とのギャップの格差がしんどいなあ、という日ももちろんあるんです。実際この1か月はそうでした。

絵を描くことは絶望を明るい色で塗り替えること

でもあえて、キレイごとをちゃんと絵にするんだ、というのが私の業務で。それは大事な根幹ではないか。キレイごとが人間社会においてほんの1%程度のすぎない時期もあるだろう。でもキレイごとを絶対捨ててはいけないのです。キレイごとを捨ててしまったら野良のケモノと同じです。絶対にこのキレイごとを捨てないぞ、しがみつくのだ、と。

Si toute vie va inévitablement vers sa fin, nous devons durant la nôtre, la colorier avec nos couleurs d’amour et d’espoir.
人生が必ず終るものなら死に向かっているのなら、私たちはその間、愛と希望の色で彩り描き続けなければならない

とはシャガールの言葉です。シャガールはユダヤ人で、戦乱とホロコーストの時代に生き残り描き続けた画家ですが

辛いことが多ければ多いほど、色彩の煌めきは増し、人を励まし、そのために描き続けるのだと言います。

むさぼるように読んだ介護本のエッセイ中にフランクルの「夜と霧」が出てきました。日本社会の介護問題にこの著名なアウシュビッツの物語を照らし合わせた人がいたことに驚きました。けれど得心しました。

70才の友人が今や寝たきりの96歳の認知症の母親を自宅で看ている経験で今回、色々アドバイスしてくれました。24時間の世話が必要で睡眠時間は4時間をきり自身の老後の資金すら底をつきながらも老親を見ているというその現状は、他者から見たら悲劇そのもののはずです。なのに彼は、仕事をしてちょっとした楽しみも捨てず実にユーモアがあり、明るい。それは珍しい事象ではなく、多くの日本人が今やそうした現実に向き合っている。あちらこちらにそうした介護の話を聞きます。何ら珍しいことではないのです。

虐殺と戦争はないものの、この日本の閉塞と少子高齢化の現実は「夜と霧」そのものでしょう。

令和は閉そく感から抜け出せるか

今朝の平成から令和に移行しようとするニュース番組で「いく年くる年」などと称して、お祭り騒ぎのようにコメントするタレントたちの風体は何のブラックユーモアか。平成のはじめのジュリアナで踊り狂う若者とバブルの崩壊の映像が映し出され、一体この平成とは何だったんだと皮肉な気持ちになった人は私だけではないでしょう。

1億創生とかバラ撒く金があったら何で介護と子育ての整備をしなかったのか。アホなのか。

こういう私だけでなく全ての同年代やさらには若者が、令和は今の閉そく感が終わり希望に満ちた年になるはずだと、思うのか。思っているはずがないだろう。まあ、10ちゅう8はロクな未来などないやろ、と。

でも、古く人を縛ってきたメンドクサイものが無くなっていくかもという期待がある。

過剰労働、頑張れば報われるというお題目、性差別や、従来の家庭観。

今回がっつり取り組むことになった介護保険と医療というヤヤコシイ制度。

介護保険や役所に各所に何度通って100回くらい電話して、そのややこしさ、使いずらさ、利用しにくさに、何度も爆発しそうになった。

爆発しなかったのは、現場の人達がとても素晴らしく、温かく真摯に向き合ってくださったからです。

アホみたいな愚痴にも長時間付き合ってくださり、現実的な対処を提案してくださった。

プロたる介護者、医療者たちが、奇跡的な利他的な美しい心で従事して、その制度の矛盾をブラック仕事でカバーし続けているのが現実です。もうとっくの昔に疲弊して現実に即してない事態なのに、家族が、現場の人達がどんどん疲弊し、プロの介護者には十分な給与が与えられない。

どうしてこういうのテレビでもっと放映しないのかな…。視聴率が取れないからなんでしょうか。

どんどん話が脱線しました。

ともかく、令和がどうしたって心境です。

同年代の人、更年期と介護、やっていきましょう。頑張りすぎずに。やっていこう。