テレビが壊れた

ついに我が家のテレビにソニータイマーが発動しました。

つまり、壊れたのです。

結婚した時に買ったので15年、よくもちました。

画面がだんだんぼやけてきて、上半分が映らなくなり、まるで日々「アタック25」の中途半端にトップになった回答者のようです。

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ついに終焉を迎えた我が家のテレビ

捨てる以外にないので、昨日、手配をしたのですが…

泣いているように見えるテレビ

ソニーのこれは液晶とはいえ、重くて古い。直すより捨てるほうがいいのです。分かってくれ。

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首をうなだれて悲しんでいるテレビ

首の角度が傾いていて、まるで泣いているように思いました!

俺はまだ生きてる!うつす事ができる、捨てないでくれ!まだ働ける!

と叫んでいるような悲壮な様子…。

不思議です。ちょっとモニターの角度が下を向いているだけなのに。まるで悲しんでいるように見えるのです。

まるでドナドナ

ゴミの日が近づいて、彼の眼(?)を見ないように玄関に運んだ。

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ゴミ収集のため玄関に置かれたテレビ つらい

♪ある晴れたーひーるさがりー市場に続くみちー♪

うわあ~泣いているよ!首をうなだれてるよ!

許してくれ!ごめん!ごめん!成仏してくれ!

と、しばしもらい泣きしてしまいました。この角度ってほんと、泣いているように見えません?

ああ、テレビよ、さようなら、ありがとう…。

テレビとの絆が強い昭和の世代

今の若い子はそう視ないでしょうが、私たちの若いときはテレビはまだまだ富の象徴。テレビを家に買うと一人前の大人になったような気がして嬉しくなったものです。昭和世代にはテレビにかける思い、存在感は大きいのです。

イマドキのテレビは結構安いし(同じ26型が15年前の1/4の価格になっている)薄型でハイビジョン。

とはいえ、長年つきあってくれたこいつを捨てるのか…もっと若くて安くて能力のある良いテレビに買い替えて、おまえのことを忘れるのか…人間でいえば定年の人?

まるで年取って能力が衰え社会から必要とされなくなった我々中高年世代のなれの果てを見るようだ…あああ

(でも、結局捨てたんですけどね。新しいシャープの液晶はめっちゃ使い勝手が良い!ワイファイにも接続できる!)←残酷

身の回りの品に目鼻と感情を見出す人間の脳

という私とテレビとの別れですが…

こんな風に、家電も見ようによっては、感情があるように見える、見えた、ことありませんか。あるでしょ?

人間の顔でないものに人間の感情や容姿を見出してしまう。

人間の脳には元々そういう特性があるんですね。

例えば、下のような記号

マルサンカクシカク
丸 三角 四角 というただの形

ただの「まる、さんかく、しかく」であり、ただの紋様、記号にすぎません。

それが▼こんな風に組み合わせると

maru-sankaku-shikaku02
〇と△と□だけで人間の顔に見える

あら不思議!顔になりました。びっくりですね。そう、これが顔を認識するということ、人間が色んなものに人の顔を見出す脳の仕組みなんです。

顔認知とは

壁の模様を顔みたいに錯覚するとか。

これは人間の脳の仕様なんですって。そういう風にできている。これを「顔認知」と呼び、脳の仕組みの一つ。

この「顔認知」という機能を事故や病気でなくしてしまうことがあります「相貌失認」といい、人の顔の区別がつかなくなる。

相貌失認 ウィキペディア

他人の顔が誰であるか区別がつかない。みんなのっぺらぼう?に見えてしまう?

そうなると社会生活が送れなくなる。人間は個体同士の群れ=社会性=お互い助け合い協力しあって生きる生き物なのです。そのためには人の顔を認め合う、という能力は人間にはなくてはならないものです。客体化、我と汝、という実存のためには顔の認識が欠かせません。

頭部損傷や脳腫瘍・血管障害などが後天的に相貌失認を誘発する要因となる。

なるほど、脳溢血などで人の顔が分からなくなることがあるんですね。

これがまた脳の別の病気だと、違う風になる。たとえば認知症、レビー小体型認知症などになると、柱やカーテンや家の物を、人間として認識してしまい、「誰かきた!そこにいる!」という幻視になるわけです。「相貌失認」は顔を認識区別する能力を失うもの。いっぽうレビーなどは物を極度に人と見てしまう幻視が頻発する。それは脳の認識がバグを起こしたと言っても良いのでは。

いわゆる幻だ!幽霊だ!という霊視?ができるというスピ系や宗教系人々の大半もこの手の脳の特性を備えている人が多いのではないか。

車と人の顔

車の前面が人の顔に見えることは多いですよね。これはワザとそういうつい、ものを顔に見立ててしまう脳の特性を利用して作られているんです。

二つのライトと下の形が人のように見える、車のつくり。

そう見えることで注意を喚起し、事故を避けるようになっている。

カンタンに似顔絵はすぐ描ける

さて、さきほど、〇と△と□だけで顔が描けるよ!と申し上げましたが。

さらにこんな風に描くと…▼

人の顔シンプル
〇と△と□だけで人間の顔に見える

あらびっくり!全員違う人間になったよ!

これが似顔絵です。

よく見てください。この3人、オトコにもオンナにも、子どもにも年寄にも見えてきませんか。上の人は男性で左下が子ども、右は女性でお母さんだって言われたら、そんな風に思えませんか。左下なんて有吉弘行さんに似てますよね。

このマルサンカクシカクだけで立派に似顔絵なんです。絵っぽく影をつけたりするのが良いと思われますが、違うんです。そう、実は絵が格別上手くなくても似顔絵は描けるんです。この記号だけで。

シンプルな顔認識の根源的な脳の特性から描かれるので、十分これで似顔絵イラストなんです。

実はこのマルサンカクの話は私が考えたんじゃなくて、多くの似顔絵講座や教本で解説されます。似顔絵の基礎として定番です。絵の影の付け方とかを習うんじゃないんです。記号の位置や大きさが似顔絵では重要なんです。普通の美術大学の講義や絵画教室とは違いますよね。私も最初に教えていただいたときびっくりしました。

こんな風に〇と□と△を組み合わせるだけで顔になり、似顔絵として成立するとは。

だから美大出の人が似顔絵を描くと上手なんだけど似ないことがあり、なのに〇△□ぐらいしか描けない子供さんの書いた似顔絵の方が似ている、という現象が起こるわけです。

人の眼差しってすごい。脳の神秘に震えませんか。犬や猫はこの〇△□で人間であるとは思わないのです。顔を区別し、認識する能力と技術は人間が人間同士で生きていくために、社会を形成していくために備えられた能力なんです。

この能力があるからこそ似顔絵イラストは楽しまれるのです。

さらには認識の派生でピクトグラムというものが発明された。その話はまた別の機会に。

諷刺コンテンツとしての似顔絵:ナンシー関から吉田潮、マツコデラックスまで