夏が終わる

台風18号が関西を直撃し「八重の桜」で西郷さんが武士の世の終わりを告げ

半沢直樹が「百倍返し!」と叫び、「あまちゃん」が最終週になり、私の夏は終わりを告げようとしていた(?)

10月からは新たな朝ドラがスタートするわけなんですが…どうなんでしょうか。

杏が朝ドラ。 タイムスクープハンターや妖怪人間のベラは大好きだけど あの重厚な美女が朝から登場して大丈夫なんでしょうか。

夏菜や尾野真千子といい、NHK大阪局の朝ドラはコアである。

今回も賭けに出ますねえ。

杏は暗いが面白い。暗いが儚げではない。貪欲な生命力がある。何があっても生き延びそうだ。草を食べても泥を食べても。

来期の朝ドラは食欲グルメがテーマであるという。ある意味ぴったりだ。 この杏のバターのような暗さ、それを更に煮詰めて飴色にし発酵させたのが、その父親である。 杏の濃厚さは父譲りともいえます。

渡辺謙という俳優のイラスト

渡辺謙「許されざる者」の似顔絵
俳優:渡辺謙の時代劇イラスト

クドカンや三谷喜劇、朝ドラに絶対、登場しえない俳優がいる。

今や世界的俳優となった、杏の父親、渡辺謙。 日本人離れした体格と容姿。そこに加えて、波乱万丈の過去。大河ドラマの主人公となり大人気となるも、病に倒れ、復活し、ハリウッド。家族との軋轢などドラマチックな人生。

想像してみてください。「あまちゃん」に渡辺謙が出ているところを。 たぶん、彼ならどんな喜劇も真剣に演じるだろう。しかし考えただけで涙が出てきそうになる。

存在感がキツすぎる。浮く、どころじゃない。その笑いの奥に、どんな日本、世界、宇宙、戦争、災害、病、憎しみ、悲しみが隠れているのか。 世界の悲しみのすべてを背負っているような、十字架俳優、それが渡辺謙である。

携帯のCM広告などに登場する渡辺謙考察

北大路欣也は重厚だが、声が白犬、コミカルで明るい。

役所広司も重いが、ダイワハウスのコメディを十分演じて面白い。何より三谷喜劇の看板である。 ソフトバンクやAUに比べドコモの売上の伸びは悪かった。

その理由のひとつに、私ごときが言うのは大変失礼だが、渡辺謙のせいもあるのではないか。面白いんですが… ダースベイダーと渡辺謙…w 重いものを更に重くしてどうすんだよ スマフォや携帯は今や若者のものではない。

年配者にドコモはターゲットを絞りつつあるのは分かる。しかし、年配者は、そう仕事にスマフォを使わないのよ。むしろ、年寄りこそ、携帯にかっこよさとか、アソビ心が欲しいのよね。若者にコンプレックスがある分。渡辺謙はパソコンやスマフォを一本指で必死に泣きながら触っているような気がするよ。

このプレゼン女子に登場している渡辺謙もすごい。つまり、渡辺謙のような仕事の出来るオジさんがピッタリ張り付いてあなたの仕事をサポートしていると言いたいのでしょうが… ウザいw こんな心配性なオジさんが付いてまわるのはゴメンこうむる。スマフォを擬人化するのはいいアイデアですが。渡辺謙がそばにいると思うと落ち着かない。

落ち着かないよ!

スマフォでリラックスして遊んだりLINEでおしゃべりしたいのに、門限を煩く言う重厚なパパ! 他に渡辺謙が出ている広告といえばシロタ菌、車に酒…どれもイマイチぴんとこない。 や…渡辺謙さんのワルクチが言いたいのではない。むしろ、すごい人だと言いたいのです。紫式部が清少納言に成りえないように。

数分のCMを大河ドラマにしてしまう渡辺謙。彼の重厚なカラーに全て染めてしまう。それほどの存在感なのだ。

すべてをリアルな荒野に変える名俳優

渡辺謙の悲劇的な存在感は、すべての事象をローマのコロッセウムに変えてしまう。

あの「ラストサムライ」。時代考証もめちゃくちゃで、どこの少数民族かという変な村が登場し、不思議なコスチューム、忍者は出てくるは、ちょん髷は妙ちきりんなポニーテールだわと、ハリウッド最高のハチャメチャ時代劇ですが

渡辺謙のせいであんな時代と光景が日本にあったのかもしれないという錯覚を起させた。

今回の「許されざる者」も 幕末の北海道ってあんなだったんかい?

ああだったような気もするけど…と思いつつ が、渡辺謙の存在感が全て打ち消した。 記事がまた長くなりそうですね。

カインは主に言った、「わたしの罰は重くて負いきれません。あなたは、きょう、わたしを地のおもてから追放されました。わたしはあなたを離れて、地上の放浪者とならねばなりません。わたしを見付ける人はだれでもわたしを殺すでしょう」。主はカインに言われた、「いや、そうではない。だれでもカインを殺す者は七倍の復讐を受けるでしょう」。そして主はカインを見付ける者が、だれも彼を打ち殺すことのないように、彼に一つのしるしをつけられた。

許されざる者とは

The Unforgiven=許されない者(forgiven=許し)である。

この監督 李相日の「悪人」という映画がある。妻夫木聡が人殺しで、深津 絵里と地の果てまで逃飛行をするのである。 ”悪人”の訳はVillainである。だから”許されない者”は”悪人”とは違う。 共に人殺しを主人公にした映画、似ているけど微妙に違うのだ。

この違いは、映画を見るとなんとなく分かるような気がする。 悪いか悪くないかは刑法の問題であり、許すか許さないかは宗教(特にキリスト教にその概念が大きい)の問題だ。

監督はクリスチャンなんだろうか?元になった「許されざる者」がアメリカ映画だからそういう傾向なのだろうか。いくつか、キリスト教的なセリフや暗示がある。 キリスト教にはたえず神が許すか許さないかの問題が満載である。

その苦悩は深く、無宗教及び雑宗教の日本人の私には理解しがたい部分がある。

いくつか「許されざる者」という映画がある

「許されざる者」は1992年公開のクリント・イーストウッド主演・監督のものがある。今回の渡辺謙主演のものはそのリメイクであるというふれこみだ。

私はそれは観たことがないので、なんともいえない。 ウィキペディアでは 6本もの「許されざる者」の紹介がある。

任侠映画の「許されざる者」

西部劇の系譜ではなく、任侠・ヤクザ映画の「許されざる者」がある。

三池崇史監督の「許されざる者」は加藤雅也、藤竜也主演。

また、 何故か 福岡県警が作ったという ヤクザ撲滅PR映画「許されざる者」があるそうでww

許されざる者〜暴力団追放啓発ビデオ という。なんとホームビデオで制作したという!予算は30万円!で、出演者も現役警察官。

なんかグイグイ響くものがあり、ある意味すごい映画だ。 許されざる者 (福岡県警)

許されざる者は倍返しする

映画の感想を思い出すだに、一言でいうなら 倍返し映画だと思った。

お互い恨みがかさんで 倍返しをしすぎて誰が悪人か善人か 許されざる者なのか 分からなくなるくらい憎み悲しみ殺し合い悲しみ 怒涛のように終ってしまう

渡辺謙が演じる主人公、人斬り十兵衛。 幕末にいた剣の達人で…という設定。「るろうに剣心」の二番煎じのような気がしてきますが

あの映画のように勧善懲悪、心美しく仲間と助け合い、純潔のヒロインがいて、正義の怒りの剣で、スカッと悪人共を切りまくる、などという明快な筋書きは一切ないのだった。

罪を背負う男

渡辺謙は、世界の悲劇を一身に背負っているような十字架俳優 と書きましたが まさにこの映画は渡辺謙でなくてはなしえなかった。

贖罪とは許されない者が罪を贖うために、苦悩を背負い生きていくことである。 主人公十兵衛には決して消しえない苦しい過去がある。 贖罪の傷を負っている。

悪党には目印が必要だよな

と主人公の顔には残酷な切り傷がつけられてしまう。

死ぬまで罪を背負って生きていく人の背中

と、彼を慕う娼婦はつぶやきます。

彼女の雪のような肌には同じく傷がついています。

客により、顔を切り刻まれたのです。彼女は、女の業を背負っている。

彼女の顔の傷も 十兵衛の顔につけられた傷も キリストの聖痕と同じ意味を持つ。

全ての人の罪を背負って十字架につけられた。人類のスケープゴード。重い十字架を背負って生きていく。罪人カインの印、人類の贖罪の印であるイエスの傷、人殺し、罪人と娼婦の傷。救済と憐れみの象徴。

この物語は北海道の原住民族、アイヌも描かれる。明治よりアイヌ民族は差別され家を焼かれ虐殺される。アイヌの女性には、顔に鮮やかな刺青があります。そういう風習なのです。その姿もまた、イコンのように美しく画面に登場します。彼ら彼女らも十字架を背負う者たちです。

娼婦の十字架

カミキリ虫
十字架のような昆虫の姿

娼婦にナイフで傷をつけたのは貧しい農夫。 彼の首に懸賞金がかけられた。懸賞をかけたのは、娼婦の女性達。皆でお金を少しずつ出して、復讐を企てる。 そのお金を得るために十兵衛はやってきた。 あれこれあって、その農夫は、十兵衛たちに殺されてしまうんですが そもそも何で娼婦の顔が切り刻まれたかというと アソコが小さいと笑ったわけなんです。そんなこと言ったら、まあ、逆上されて当然なんですが ひどい倍返しです。

娼婦の顔を切り刻む男は確かに酷い。ですが、殺されて当然なわけではない。ケガさせた代償が死刑な筈はない。 これまでも、娼婦たちはひどい目にあってきたんだろう。明治だから、今みたいに、風俗求人情報誌があって時給〇円歩合〇円とかではない。かつては親に売られたとか借金や貧困だとか、要するに身売りです。

屈辱恥辱、病気や暴力、ピンハネに日々苦しんでいる。 娼婦が顔を斬られたら商売できないし、そういうことがまかり通っては虐げられるばかりだ。

つまり見せしめ腹いせ、スケープゴートとして農夫に賞金をかけた。

倍返しが無法者の連鎖を止める場合がある。

殺された農夫は小澤征悦なのだが実に見事なチキンなクソっぷりで、残酷に虫けらの如く殺される。クリステルも真っ青。農夫もまた罪を背負って罰を受けた子羊なのだった。

戦前の娼婦たち

慰安婦問題もヤヤこしいことになってますが、かの国の人々やフェミニストたちは見せしめが欲しいのか。

倍返し100倍返しをしても気が収まることはないのだろう。一体どうすれば彼らは満足なのか自身にもわからないのではないか。

女性として、レイプ以上の屈辱と悲しみはない。私も虫の居所が悪い日には女の性を軽んじる奴は死刑になれと思うことがある。それほど、女性にとって性=生であるのです。

性を売らなければいけない運命。自ら選んだものではない。愛する親によって自分の性が売られる。貧困によって社会によって貶められた女性達の現実。

この時代の北海道の娼婦の状況を知るに秀逸な漫画があります。 曾根 富美子さんの「親なるもの断崖」というものです。

昭和初期の北海道室蘭。娼婦たちを主人公にした大河漫画です。

日本の貧しさと北海道の開拓の厳しさ。その最底辺にいる女性達。迫力のある漫画です。

また話がそれてしまった。

私は女性だから、女性の十字架についてつい考えるのでした。

娼婦たちのリーダー格であろう小池栄子さんがすごい存在感でした。柳楽優弥さんは力みすぎのような気がした。