少女にもエラがある

令和…、特に21世紀になって、世界がグローバル化、様々な文化や価値観が共有されるように。性においても同様で、多様性を帯びてくる。保守的なジェンダーが少しずつ薄れていくのですが

昭和の絵にはまだ明らかに明確なジェンダー差がある。その象徴がアゴやエラだと考えたんです。

男性はゴツゴツしていて、女性は柳のようにしなやかで丸っこい。特に女性は不自然にエラがない姿で描かれる。

男性は女性に外見的な「美」を要求する。その「美」の基準がエラのあるなしではないか(「美人画」というものは昔からあっても「美男子画」というのはなかった。今はある。腐女子の薄い本にしろ)

エラ=強情な意思 を持たないのが女性の理想像。不自然にエラのない女性が絵画やコミックの世界にヒロインとして存在しました。

しかし、元々のホルモンの違いで、男性に比べて女性の方がエラが少ない。だから私のこの仮説は大げさかなあ、と思ってました。しかし、ある記事の写真を見て、やっぱそうだろう、と確信しました。

昔の日本人の少女の写真ですが、顔立ちを見てほしい。エラ、ありますよね?子供なのに(でもそれがかわいい)。

でもメディアの創作物の美女たちにはエラがない。美人画や漫画、昭和に至るまで、エラがない。美の基準が実際の顔の造形と違うのです。

エラのない美女たちは日本女子の理想像として描かれています。

昭和の保守的な男女像の象徴がエラ

そりゃそうです。遺伝子というものは如実で、ゴツゴツした親父からはゴツゴツした少女が生まれるに違いない。

だから、「巨人の星」一家のヒロイン、明子の顔は不自然なんです。

とはいえ、近年はオトコ=ごつい 女性=しなやか という図像が崩れてる。男女もLGBTも全員、エラのない柔らかい細い方向に向かっている。もう剛な闘争に強い顔立ちは時代遅れなのかも。

しかし、それはあくまで創作物、二次元の世界の話です。現実の三次元では筋トレブームは性差関係なくブーム。もちろん、筋力でアゴやエラは発達します。それもまたよし。不思議な時代です。

ゴツゴツしたエラは嫌われるアジア

いまは男女ともエラ骨格は時代遅れ。私の絵は古いのでエラの影をつい描いてしまう。アゴの線の凹凸を出してしまう。よくお客様に怒られます。

というのも、美大受験で彫刻のデッサンするじゃないですか。ゴツゴツした骨格を泣くほど描かされますからね。手にしみこんじゃうじゃないですか。あの彫像は全員欧米人で(なぜに?)骨格がゴツイ人ばかりです。アルテミスだのアポロンだの…

日本における美女というのはエラがないのです。昔から定説で歴史的に確立されています。

太っていてもエラがない、それが日本の美女。

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Imperial court in Kyoto – Genji Monogatari Emaki published by the Tokugawa Museum in Nagoya, Japan, 1937., パブリック・ドメイン, リンクによる
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喜多川歌麿cgH3Mn22MIBngA at Google Cultural Institute maximum zoom level, パブリック・ドメイン, リンクによる

江戸時代の美人、エラがない。鼻も小さくシュッとしてる。

中国も韓国もそうですね。エラのない女性が美女とされている。

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Takaku Aigai(1796 – 1843) 高久靄厓 – SEIKADO BUNKO ART MUSEUM 静嘉堂文庫美術館, パブリック・ドメイン, リンクによる

美女楊貴妃

韓国のドラマのヒロインも今でもその系の顔です。細くて、柳のようで、色白で、エラがない。アジア特有の美人像です。

欧米は反対に美女にエラがある

しかし、一方でさっきのアルテミス像のエラを思い出してください。実は欧米人の美人はエラがあるんです。

もちろん、骨格の違いというのもありますが…

「魔性の女」ファムファタールという概念が以前流行りました。男性を狂わすような美人のことです。これが東西で全然違うんです。

その特長のひとつが「エラ」です。

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ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ[1], パブリック・ドメイン, リンクによる
▲イギリスの画家ロセッティによる有名なファムファタールの女性

この女性は友人(ウィリアムモリス)の奥さんなんですが、その美貌で回りの人々をトリコにした「運命の女性」。多くの醜聞があった。

ゴツイですね~アゴやエラもそうだけど、この首、肩。

キレイだけどこんな女性が日本にいたら、魔性の女、というより、バーベル持ち上げそうな感じじゃないでしょうか。一日20kくらい泳いでるんじゃないかと。それはそれでステキなんですが、少なくとも日本では魔性の美を感じ辛い容姿ではないか。

それほど、アジア人と欧米人は骨格が違い、美の基準も違うのです。

▼おつぎはオーストリアのファムファタール クリムト作

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By Gustav Klimt – http://www.gemeentemuseum.nl/tentoonstellingen/klimt-%E2%99%A6-schiele, Public Domain, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=70961521

魔性の女といえば「ユディト」 旧約聖書外伝に出てくる女性ですが、色香により敵を惑わし、寝首をかいて、殺す、いわゆるスパイ美女。ウィーンセセッション特有の装飾と死の香りが合わさり、実に世紀末的な美しさです。

とはいえ…これもゴツイ。エラがありすぎる。

このようにいくら魔性だ、色香だ、運命だ、とはいえ、欧米の美女には明らかにエラがガッツリあるのです。

夢二に見る日本の魔性の女たち

方や、日本の魔性。

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パブリック・ドメイン, リンク

美人画といえばこの人、竹久夢二

上記クリムトやロセッティとほぼ同時代です。(ちょっと後)夢二自身もヨーロッパに勉強に行ってたのに、この柳のような美人像。

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郵便局で売っていた夢二のポストカード

骨抜き…というか、まさに骨が抜け落ちてているよう。

欧米の美女たちと比べ、まるでエラがない。同じ生き物とは思えない。どうやって直立して生きてるのか不明なほど違います。いくら骨格が違うからといって…まるで軟体動物ではないか。

思い出すのが壇蜜さんです。魔性の美女の役を演じることが多いタレントさんです。夢二の美人像に近い色香があります。

グラビアアイドル「壇蜜(だんみつ)」さんの似顔絵
だんみつさん似顔絵イラスト 不思議に色っぽいよね

まさにエラがなく、目が切れ長で、古来からある日本の美女像そのものなのです。

これはどちらがいいということではなく、人種の違いや骨格の違い、そして気候や風土や文化の違いからくる価値観の違いです。

同じような美人という位置づけなのにこれほどまでに東西は違うのです。

ただ、ここ近年のネットの発達とグローバリズムで価値観や美醜の基準も東西交じりあってます。ローラさんのようなバタ臭い骨格顔が受けるのもこうした過程です。

ロセッティの美女と広瀬すずさんは似ている

以前、広瀬すずさんの顔が朝ドラで何故反発を受けるのか、という記事を挙げましたが

キレイなんだけど、欧米の美の基準として、どうしても成長と共にエラがついてくる。

少女の頃はエラが少なくて、ただ目のパッチリした美少女ですむ。けど、成長すると顔の骨格、アゴやエラが発達する。

目が大きい広瀬さんのような顔は大人になるとともに骨格がしっかりしていて、どうしてもエラが出てきちゃうんですね。

自然の摂理です。目が西洋人形のようにパッチリ=骨格がガッツリ=エラが目立つ

広瀬さんがある層には美女として大絶賛され、ある層には反発を受ける理由がそこにあります。様々な美の価値観が今あり、保守的な日本の美人像が浸みついている人には広瀬さんの美貌は異端と映るわけです。つまり広瀬さんは新時代の美少女なんですね。

アジア系の美人の利点

でもアジア人、目が小さく細い人は、エラが目立たないんです。そういう利点があるから、目鼻が欧米人のようでなくても何ら恥じることはない。一重ですら神秘的です。

夢二の絵はみんな一重です。いつまでも柳のような竹久夢二の絵のような風情を演出できる。

さらには老けにくい。(だからアジア人は海外で若く見られる)

しかし、今は価値観がごちゃまぜ。西洋人のように彫りが深く目が大きい方が良い、さらには東洋人の少女ようにエラがない方が良い、と。

どちらも欲しい。両方を欲して、それに近づけるようにメイクや整形をしたら、プリクラや補正しすぎたアプリ画像のようになる。Mattさんは分かっていて、そういうメイクをしているわけです。

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桑田さんの息子 Mattさん 父とは全く印象が違う

魔性の美の基準は時代とともに

人間という生物なのに、アニメや少女漫画のような二次元のまさに「非実在」の容姿に近づけようとしているのが現在。二次元のメディアの中だけならいいですが、現実にそんな顔でいることは、はまさに「人間離れ」しています。

アジア人のノッペリとした骨格に欧米人のゴツイ目鼻をはめたがる。本来不自然な組み合わせだから、現在のファムファタールは妙な感じになるんです。

韓国系にしろ、整形美女にも、人形の作りもののような美しさが強すぎる人がいますが、つまり、やりすぎじゃないかと。細いエラのない顔、長いクネクネとした手足に大きな目だけが輝いている。

「美」の基準は時代と共に変わる。いまやアニメのようなエラがない、目の大きすぎる顔がこれからの「美」になっている。我々中高年が「美」と思えないものが若い世代には新しい「美」の流行なのです。

とはいえ、中高年女子のはまる美白や「美魔女」の佇まいも不自然すぎる印象を受けます。人工的なものを感じるからです。若い世代のことをとやかく言えません。我々の若いときの不気味な太い眉とソバージュロングヘアを今見たら妖怪そのものです。

女性は美人であるために昔から美の基準にアンテナを立てて、その理想像に近づくべく努力します。美容やスタイルに取り組みます。

整形も美魔女も、化粧も、美しくあるために努力している。その向上精神も美しさに一役買っています。美しくなろうと思うその心こそが美を形づくる。私はその努力を一切放棄して生きてきたので、爪のアカでも煎じて飲むべきだ。と、たるんだ顔を鏡で見ながら独りごちたことでした。

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