美容院が嫌いだ
突然ですが皆さん、美容院はお好きですか?
私は嫌いですね。昔から。
置いてある本はゴシップかファッション誌で、自分の本を読んでいると延々と話しかけてくるし。
私の髪の毛は幼少時から剛毛で多いんです。で、若白髪もある。手入れが大変なのもあり髪型に無頓着です。跳ねていても大して気にしません。(接客仕事時にはワックス使うなりしてまとめますが)
変な声色で「え~なんでブローしないんですかあ しなくちゃダメですよおお」「キレイにしたらモテモテですよお旦那さんに見直されますよお」などと言う。アホなのか。
でも、会話は美容師さんが気を使ってくれてるんだからと頑張って応じていると、隙を見て、自社シャンプーの宣伝をしてくる。美容院は1回1万円近くするのにこんな嫌な思いばかり何でせなアカンねん。でもなんで私は強迫的に定期的に行ってるんだ自分、とふと気が付きやめた。
だから今は床屋です。それも年に2回ですよ。安いし早いし上手いしサイコー。床屋。染めはセルフで十分だ。
ネコも杓子も同じ頭
私の若い時は聖子ちゃんカットがはやり、みんなあの髪型。
いや、聖子ちゃん大好きですけどね。
あの頃の女子、朝一時間はかけてブローしてあのスタイルにしているのが専らだとか。時間の無駄やんけ…。大体、オトコはブローなんてせんやんか。(いや、今はしているのか)なんで女ばっか日々の時間を髪型との格闘に費やさないといけないのか。
で、仕上がったのがクローンのような一律同じ髪型集団とは。
今は個性が大事大事と教育現場で言うから少しは変ったかと思えば、女子の横並びファッションと髪型は相変わらずです。
って言うのはもちろん、私のコンプレックス、劣等感から来てます。かわいくなかったモテなかった、女子力が皆無という己の資質と、かつ努力不足に直面したくないから上記のセリフを延々ボヤいてます。
もうアラフィフ。髪のハネよりシワと白髪と更年期に悩む同世代。女子力より、現実的な老いとの闘いです。髪型どころではなくなります。ファミレスの話題がブローよりも老化対策で盛り上がります。年をとるとラクだなあ。ルッキズムから’(少し)解放されるので。。。
しかし、私の頭は剛毛で、タワシのようなのはこの年でも相変わらず。白髪ばかり増える。ある程度はちゃんとしないと大変です。昔からこの頭でどんなに嫌な思いをしたか…。
毎日洗っていて清潔なら何らコンプレックス持つことはないはずなんですが。髪型は女子力に関わるとばかり、みんな力を入れて回りと同じようにしようとするのが嫌でしたね。。。だって大変なんだもん。私の髪質のブローって。
髪型に悩む主人公のテレビドラマ
最近はまっているのがこのドラマです。
原作は人気のある漫画なので、知らない人はいないでしょうが、一応解説しておくと、
主人公は強力な天然パーマ。母親からは「みっともない頭」と言われ自尊心の低い性格に育つ。しかし、あることをキッカケに全てをリセットし、新しい仕事に恋にチャレンジするようになる。
元朝日新聞の稲垣えみ子さんの影響もあるんじゃないか…ミニマリストでアフロな人
主人公は、ストレートヘアーも、正社員の仕事も、都心のマンションも捨ててしまう。で、立川の安いボロアパートですごい貧乏暮らしをするんですね。
原作マンガ、むちゃくちゃ面白い!
私も京都の安下宿で貧乏暮らしをしていて、パンの耳を食べていたりした。隣には中村倫也も住んでおらず、高橋一生の元カレもいませんでしたが…。暑い夏に苦労するさまとか、すごく共感する。涙なしには読めない。
ルッキズムに苦しむ女性たち
若い時はモテに関わる美醜(ルッキズム)が何より大事です。女性は美しいか美しくないかで人生が決定すると考えている人がまだまだいます。
男性は学歴や収入で判断されてしまうので、また別種の苦労があるんですが…。
女性は、キレイかキレイじゃないかで生きやすさが変わってくるんです。今はそうでもないかもしれませんが、つまり、良い結婚ができるかどうかという身も蓋もない人生設計が女性の美醜と多いにかかわるわけです。
このドラマと原作マンガはコメディですが、女性のルッキズムとジェンダリングに向き合ってます。
しかし、そのルッキズムの基準というのは複雑です。それは単純に顔立ちのキレイさということではありません。尽くすこと、奉仕すること、自己犠牲、他人をケアする能力=女子力 であることです。
原作の絵を見ていただくと分かりますが、女子力が高そうなのはどちらでしょう。
男性に尽くしそうで、毎日手作りの食事を作り、子育て上手で介護もいとわなそうなのは左の女性だと言われるに違いありません。
でも実際は、右のアフロの主人公は、節約が趣味で料理上手で、ヌカ漬けも作ります。
日本女性のルッキズムの縛りは、従来の女性観と深く結びついているがために苦しいのです。ハイヒールもそうですが、女性自身が穿くのがいかに辛くて外反母趾になろうが、それが男性受けする限り、また公式の仕事場所で必要とされる限り辞められないのです。(男性のネクタイとスーツもそうですね)
似顔絵イラストを描く上でも男性はオトコらしく、女性はオンナらしく美しく描くのが必須です。そのようなジェンダーやルッキズムと関係は絶ち切れません。そのような一般的な美醜と「似てる」をどう組み合わせて商品にするか、の繰り返しです。(時代による流行にも左右される)
また、このドラマの憎らしいことに、女性のルッキズムの辛さは、キレイでありさえすれば、女子力が高そうでありさえすれば解決するわけではない、ということをちゃんと描いています。
主人公の凪はドロップアウトする前は、サラサラのヘアーで女子アナ風です。そして性格は受け身で自分の意見が言えない。流される。でも、その大人しい性格が受けて男性にはモテる。(ルッキズムの成功を彼女は社会で努力して得たことになる)
しかし、そこに同性の「イジメ」「嫉妬」が入ります。
ブスだけど心の美しい自分を男性が見出してくれて玉の輿、というのが昔ながらの女子向け少女漫画でしたが、今は更に違います(その心の美しさ、というのが奉仕の自己犠牲精神である)
サラサラの髪の毛で男性受けする凪は同僚の女性にいじめられます。断れないので仕事を押し付けられます。でも彼女は会社で一番の出世頭の男性と隠れて恋愛をしている。彼女は心の中で「でも私にはカレがいるのよ、ふふん」という優越感があります。これが亭主のステイタスや子供の出来を鼻にかけているだけの女性とどう違うのか。主人公は、自分の受け身な性格や大人しい容姿に男性が群がってくることに不満を抱きます。が、自分もまた男性を収入や地位で振り分ける醜さがあることに気が付き愕然とするのです。
ドラマにはかつての主人公のような可愛くてあざといと嫌われてしまう女性が登場し、元カレの心を動かします。
美人でかわいいのは本人のせいじゃないのに、セクハラにあい、仕事で成功すれば可愛いせいだと言われてしまう。これもある種のルッキズムの悲劇です。
女子アナが同性に嫌われるわけ
美しい人が「かわいいから得をしている」と言われ苛められるのは、努力して得たものではないのでしょ?ズルしているのよね?という視点があります。生まれつきの遺伝子なんだから!と。
しかし、努力の領域、頭の良さやスポーツの上手さもかなり遺伝子が関係することが最近の研究で分かってきています。
自分が努力で得たと思っているものも運の良さで左右されているのです。
女子アナウンサーという人種が男性に好かれ、女性に嫌われがちなのはそこに理由があります。
先日、小泉進次郎と電撃結婚発表した滝川クリステル。女子アナウンサーですが、ルッキズムによって名を売りました。本人も分かっていてやってます。
斜め45度の報道番組と「おもてなし」東京五輪発表は記憶に新しい。本名は純日本風なのに、クリステルにしたのは、ハーフの容姿を活かしているのです。
キレイに生まれた人が更に努力しないとなれない女子アナウンサー(たいてい東京出身の高学歴)ですが、その髪型も保守的で美しい。女子アナってオッサン向けのアイドル枠なんですよ。
女子アナウンサーの仕事は報道と解説ですが、職業名に「女子」とつくところが、女子力的な役割を要求されているからにほかなりません。彼女たちはみな保守的なファッションと髪型です。「凪のお暇」のようなアフロの女子アナは1人もいません。
元々美しい上に努力している人種が女子アナですが、同性の嫉妬目線で見ると、努力=計算となり苛めの対象となる。努力すればするほど美人は「あざとい」と言われる。美人は得でもあり損です。
髪型がキレイなだけで女子力が高く見られる
一緒にしたら失礼ですが、あの木嶋佳苗がなぜモテルのか。あんなに太っているのに何故、女子力が高いと思われるのか。
髪型がストレートで、服装が女子アナ風なんですよ…。
マンガの「凪のお暇」の中で身成りをかまわない髪型が汚い美人より、キチンとしている髪の毛サラサラのブスが好きであるというような主人公の元カレの発言がありました。
男性なんてキレイな人がいいと言いながら、その実見ているのは雰囲気や髪形やオッパイだったりします。。。。。だから顔立ちなんてあまり気にする必要はないのだな、と。
記事には顔とありますが、実はそれはパーツだったりするので、化粧でなんとでもなります。顔立ちの象作はそう気にする必要はないんじゃないか。
やはりサラサラヘアーは必須なんだな、と痛感する次第です。
ある時期、婚活やモテを意識するならその時だけ割り切ってそういう髪型にしたらいいじゃんとも思います。
私はもてる気は一切ないので、このドラマの影響もありますが、アフロにしようかと目論んでいます。お手入れ、ラクそうじゃん。